中学2年生の少年は、父の死に急に生活戦線に飛び込んだ。しっかりとした高校進学はとっくにあきらめたし、熱心に仕事に通ったが、家族は貧困にあえいであった。昼間は働いて、夜には夜の学校で勉強している厳しい生活が続いた。ようやく自分だけの店ができたが、長くは続かず滅びてしまった。どのようにこのようなことができるかと思うほど絶望的な状況であった。 しかし、彼はめげなかった。最初のお店が滅びた後も数回の危機があったが、しつこく勝ち抜いた。半世紀が過ぎた今、彼は資産規模1000億円のゲーム企業を遂げた会長となった。日本を代表するゲーム会社の一つである「カプコン(CAPCOM)」の創設者、辻本賢三(辻本憲三、1940〜)の話だ。 鍛冶屋の息子辻本賢三は1940年、日本奈良県橿原市で鍛冶屋の息子として生まれた。辻本ケンゾーの子供の頃は平凡だった。彼が育っ村は文字通り何もなく、自然だけのような町であった。..